2016年2月14日日曜日

家で看取るということは覚悟が必要

 看取るという言葉はよく聞きますね。「家族に看取られながら旅だった」「最後まで家で過ごし、看取りました」などなど。
 105歳の義母の入退院を経験し、「家で看取るということ」のイメージが具体的になってきました。
呼吸困難と胸の痛みを訴えたので緊急搬送、症状が落ち着いた後主治医から「治療のできる段階ではありません。ご本人にとって退院して家で過ごされるのが一番良いのでは」と、勧められました。
 そうなんです。ご本人の心臓は動いているだけで奇跡的な状態。なにより「あたしゃ、ビールが飲めなくなったらおしまいだよ。」というほどビール好きな母を一刻も早く退院させたい。でも、受入体制のために2、3日おくれて結局10日間入院しました。
 退院して一番初めに口にしたのはもちろんビール!おいしそうに飲んだ顔は忘れられません。困ったのは入院中に誤燕防止で食べさせてもらえなかったために口や舌の筋力がすっかり衰え、刻み食だったのが流動食しか食べられなくなったことです。
 点滴の注射針を取ってしまうために、手にミトンをはめたため、指をうごかすこともままなりません。それでも退院して2週間がたち、やっとのことで自分でスプーンとヨーグルトを持って何口か食べられるようにまで回復しました。本当に凄い方です。

 さて、「家で看取る」ことを勧められた、「同じことの繰り返しをするのか。病院にきても治療はできない」といわれた義母の5人の子どもたち(3男はウチのダンナ)、そこで「家で最後を迎える」はなしにまとまりました。要するに「救急車を呼ばない」ということです。

 「最後の瞬間がどんな形で訪れるのか・・・苦しむことはないのか」思い切って医師に尋ねたところ「多少はそういうこともあるでしょう」とのこと。(;O;) 私自身の母は65歳の時にガンでホスピスで亡くなりました。延命治療はせず、痛みと苦しさは薬でコントロールできていましたので、義母もそうできないか聞きましたが、逆に難しいと言われました。

 その時、私はどこで何をしているのか。居合わせることができるのか。居合わせたら自分自身、どう行動するのか。多分、母を後ろから抱き抱えて背中をさすり、励ますことしかできないでしょう・・・
 「眠るように息をひきとる」方もいらっしゃいます。でも、みんなそうとは限らない・・・

「看取り」をしてくれる介護施設は得難い存在です。大磯町では恒道会。でも、いつまで続くのか不透明な状況です。呼吸困難の状況を知る私は日々ドキドキしながら過ごしています・・・