2018年2月14日水曜日

明治150年 大磯町の滄浪閣は昭和の建物

 大磯町教育委員会の刊行物「滄浪閣の時代」に、次のことが書かれています。

憲法草案は横須賀市で

伊藤は明治18年(1885)内閣制度を創設し、初代内閣総理大臣に就任。
草案作成は夏島(現・神奈川県横須賀市)に建てられた別荘で、明治20年6月から3か月間、作業を進めた。
明治22年(1889)2月11日、大日本帝国憲法として発布された。

現存の滄浪閣は昭和になって建てられたもの

明治29年11月、大磯町西小磯に茅葺の日本館と西洋館の2棟を設け、旧東海道筋の入り口には冠木門が建てられた。
大正12年の関東大震災によって大きな被害を受けたため、昭和元年(1926)に旧材を利用しながら建て直されている。
戦後は米軍に接収され、軍人施設として使用された。その後、政治家の楢橋渡の所有を経て、昭和26年(1951)には西武鉄道が購入し、昭和29年から大磯プリンスホテル別館としてレストランを営業していたが、平成19年に幕を閉じた。  ー以上、抜粋ー

西園寺公望邸も現存していません

西園寺邸の敷地に建てられた池田成彬(政財界人)邸は手入れが全くされておらず、痛みが進んでいます。
明治150年関連記事をいろいろなメディアで読むことができます。光と影の部分が交錯し、評価をすること自体困難です。安倍内閣の言うような、単純な評価はしてはならないと思います。評価以前に、事実は正確に伝えなければならないことは言うまでもありません。