2018年8月4日土曜日

戦争末期、大磯丘陵に構築された「陣地」について学びました

 郷土資料館の研修室に入りきれないほどの方が参加した「第9回・戦争を語り継ぐ大磯の会」。今年は戦争体験のない市原誠さんが20年以上かけて調査した、戦争末期に本土決戦に備えた大磯丘陵の陣地(壕)について、話を伺いました。
 資料が手元にないため(足りなくなったため、あとで送ってもらうことに)たくさんは書けませんが、地上戦における攻める側、守る側の兵士の損失の数がだいたいわかっていること、相模湾の米軍の上陸に備え、江ノ島近辺や横須賀でも準備をしていたこと、二宮町も含む大磯丘陵だけでなく、西小磯では海岸に汀線で防御するために、丸太を砂で覆った壕も用意されたと聞きました。
 かなりの兵隊が駐屯したため、食料を提供したり、一緒に壕を掘ったりと、町民も大変な苦労をしたと、参加された方から聞きました。大砲や銃器もそれほどないため、解体して運び込むのにたいそう苦労したとも。
 結局、使われることなく敗戦を迎えましたが、あと数ヶ月戦闘が続いていたら、この大磯町も姿が変わっていたことは容易に想像できます。
 技術が凄まじいスピードで発達(?)する時代に、これからの戦争はどんな展開をするのか想像がつきません。AIが戦争をする??武器商人のための戦争はまっぴらだし、そもそも武力で紛争を解決できると考えることは、間違っていると思います。
 攻撃されたらどうするの?の答えを探す前に、攻撃されない外交努力を続けることが何にも増して必要だと思います。
 イージス・アショアなど、いりません!!